尾崎紅葉
尾崎紅葉(1867~1903)
小説家。東京芝の生まれ。名は徳太郎,別号は半可通人、緑山、十千万堂など。幼時は岡鹿門に漢学を学び、三田英学塾などを経て大学予備門に入学し、その頃から文学に志し同窓の石橋思案ら6、7名と「文学会を」を起こした。ついで1885年(明治18年)「硯友社」を創立し「我楽多文庫」を創刊、「色懺海」を発表して大いに世にもてはやされ出世作となった。
井原西鶴に心酔し「加羅枕」「三人妻」などの作品にその成果を現したが、その後傑作「多情多恨」を発表しその円熟した文言一致体は後代の文章の模範とされた。また未完の大作「金色夜叉」は社会的写実小説の性格をもち、もはや金力の世界を肯定せず、人間の愛情、友情、献身、社会主義の優位を訴えた。この「金色夜叉」の執筆が塩原で行われ,作中人物の間貫一が塩原に遊んだことや、大自然のすばらしさが文章に託されたが、その洗練された漢文調は塩原の風光を一層高めた名文である。
1987年(明治30年)世に出されると、当時の文学青年や一般に爆発的な人気を得、塩原は一躍全国に知られるようになった。